サマンサ麻里子さんは、カリフォルニア州出身のモデルさんです。
活動は多岐にわたっていて、モデルだけではなくDJやブロガーやライターとしても活躍されています。
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idolumのアンバサダー”サマンサ麻里子さん”のプロフィール
サマンサさんは、カリフォルニア州のオレンジカウンティーに生まれました。
日本でモデルのキャリアをスタートするために、2012年にカリフォルニアから日本へ移住。
現在、Divine models所属のモデル、DJ、COSMOPOLITAN JAPANのライター、過去にはNHK World Kawaii Internationalのナレーターも務めていました。
「La Fondue Tokyo」という東京アンダーグラウンドカルチャーを発信して行くイベントの主催など活動は多岐にわたります。
サマンサ麻里子さんがライターを務める”COSMOPOLITAN JAPAN”とは
「COSMOPOLITAN」は1886年、家族向けの雑誌としてSchlicht & Fieldにより創刊され、当時の誌名はThe Cosmopolitan。
一流の家族誌であり、ファッション、家庭装飾、料理、育児など特に女性向けの内容や家族の子ども向けの内容が書かれ、その年に「COSMOPOLITAN」の発行部数は25,000部に達します。
1889年にE. D. Walker が新しい編集長となって、カラーイラストや小説の連載もの、書評などを導入。
1892年までに発行部数は75,000部にのぼります。
1905年、ウィリアム・ランドルフ・ハーストはコスモポリタンを40万ドルで買収し、ジャーナリストのCharles Edward Russellを迎えます。
Russellは”The Growth of Caste in America” (1907年3月),”Colorado – New Tricks in an Old Game” (1910年)などを執筆。
この時期には他にも、シンクレア・ルイス、A・J・クローニン、ジョージ・バーナード・ショー、アプトン・シンクレア、イーダ・ターベルの寄稿を受けています。
コスモポリタンは、短編小説や連載小説などを数多く掲載し、第二次大戦中の発行部数は200万部。
しかし1950年代になると、コスモポリタンは小説の分量を減らし始め、1955年までに発行部数は100万部そこそこに落ちてしました。
1970年代初めには、コスモポリタンは女性誌になり、ビキニや胸元の大きく開いたドレス姿の女性のセクシーな写真が表紙を飾るようになります。
1972年4月、Cosmopolitanは、当時無名俳優だったバート・レイノルズのセミヌード写真を中央の折込に掲載し、レイノルズをアメリカのポップカルチャーの最先端に押し上げました。
その後もセクシー路線に突き進み、男性ヌードやレイプの話題までカバーするようになり、十代の女性をターゲットとするCosmoGIRL!という姉妹誌も発行。
COSMOPOLITAN JAPAN オンライン版(出展:https://www.cosmopolitan.com/jp/)
日本語版の COSMOPOLITAN JAPAN は集英社から1980年5月に創刊され、2005年12月20日発売の2月号をもって廃刊。
2016年1月からハースト婦人画報社より、COSMOPOLITANオンライン版の提供が開始されています。
サマンサ麻里子さんが主宰する「La Fondue Tokyo」とは
La Fondue Tokyoは、東京のインターナショナルなアンダーグラウンドシーンから生まれたイベント。
音楽だけでなく、ファッション、映像、あらゆるアートを組み込み、 東京のカルチャーを海外へ発信しています。
コンセプトは、クリエイティブでファッショナブルな人が集まることのできる場を作り、東京のアンダーグラウンドを代表するファッションや音楽、アートなどをもっと沢山に人に知ってもらう場を作ること。
現在まで3回開催されて、インターナショナルな客層が集まり、ポップアップやフード、音楽のパフォーマンスを楽しめるイベントになっている。
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